Who cares?
HIV/AIDS in Cambodia



東南アジアで最もHIV感染率が高い国カンボジア。
猛威を振るうエイズを、人々は第二の内戦と呼ぶ。





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第二の内戦

カンボジア北西部にあるバッタンバン州立病院。感染病棟の60余りのベッドは、すべてエイズ患者で埋まっている。
付き添いの家族がいない患者ほとんどで、フランス植民地時代に建てられたやけに天井が高い病室には、垂れ流しに
なった便と鼻をつく消毒液の匂いが充満していた。

「マエ(お母さん)、何が食べたい?」
ベッドの脇に腰掛けた娘のノイは、ゆっくりとスプーンで母親に水を飲ませた。
母親にはすでに言葉をしゃべる力もなく、娘と目と目を合わせてうなずく。エイズ末期の患者たちはみな、
体からタンパク質を奪われ、筋肉がそげ落ちて骨と皮だけになる。

「これ以上どうする事もできない。覚悟をしておくように」
ノイは昨日、医師にこう告げられた。

すでに80歳を越えた老婆のようになったノイの母親ヤナーは今年36歳。お粥も咽を通らなくなってから2週間が
過ぎたという。彼女は自力で起き上がることも出来ず、終始苦しそうな顔をして痛みを我慢していた。

隣のベッドには、全身の皮膚が爛れているエイズ患者がいた。血液中にカビが繁殖しているという。中枢神経系が侵されて
開いた口を閉じることもできない患者もいた。うわ言を言い、蚊帳にくるまって震えていた男性は、エイズが原因で脳に
障害が起きたという。その横には、泣きながら激痛に耐える娘を、何もできずにただ抱きしめている母親がいた。

「HIVウィルスは体の免疫機能を破壊する病気です。死期が近づいたエイズ末期患者になると、いくら痛み止めを打っても
体中の激痛は止りません。しかしそのような状態でも、患者たちに安らかに眠れる”死”が訪れるのは、数週間後、ときには数カ月後の時もあります」
看護婦が言った。

感染病棟にいるエイズ患者の8割が、結核を患っていた。エイズを発病してから結核に感染し、それが命とりになるケースが最も多い。結核は患者の咳やくしゃみから感染するので、「訪問者はマスクを着用」と壁に注意書きがある。

感染病棟所長のスセップ医師は言う。
「内戦が続いていた数年前まで、患者の多くは地雷や戦闘で負傷した人々でした。しかし今は、HIV感染者とエイズ患者が
大半を占めています。病院では一昨年、以前地雷被害者専用に使用していた病棟を、エイズ患者のための”感染病棟”に
変えました」

病院には毎日、入院患者以外に、平均して30人ほどのHIV/エイズ感染者が受診に来る。
しかし医師や看護婦、それに薬自体が不足しているため、訪れる患者全てに対応するのが極めて難しいという。


すでに夫から妻へ感染

バッタンバン市でエイズ患者を支援している団体「女性のためのエイズプロジェクト(BWAP)」レック・ホイ代表は、
毎日感染病棟を訪ねている。エイズ患者ひとりにつき、1日2000リエル(約50円)を直接患者に手渡すためだ。
母親を看病するノイもお金を受け取り、そのお金で水を買いに行った。エイズ患者を支援する団体は驚くほど少なく、
ノイと母親にとってもこの2000リエルだけが、現在唯一の援助となっている。

カンボジアでは多くのNGO(非政府組織)が活動しているが、なぜエイズ患者に対して支援は少ないのか。
ホイ代表が説明する。

「まず一つは、エイズ発病を抑える薬が高く、莫大な援助額になる。それに、エイズ治療の専門的な知識を持った
医師が少なく、エイズを十分に理解するNGOもあまりない。もう一つは、エイズを完治することは現在不可能なので、
エイズ=死という悪いイメージがある。だから、どの団体も関わりたくないのでしょう」

そして、エイズ患者に対する治療が遅れている最大の理由は、国内の病院自体が足りないことだ。
現在すでに17万人の国民がHIVに感染しているが、国内の病院のベッド数は、9000にも満たない。カンボジア政府もHIV感染率を下げるために、コンドーム使用促進運動などに力を入れている。しかし新たな感染者を防ぐだけで、すでに
エイズを発病した患者への具体的な措置がとられていない。

ホイ代表は言う。
「現在一番深刻な問題は、夫から妻へ、HIVウィルスが感染してしまっていることです。エイズは恐ろしい病気です。
平和な家庭を崩壊し、酷い苦しみを与え、最後には命さえも奪ってしまいます」


悲劇

感染病棟では昼と夜に「お粥」が支給される。
午前11時と午後4時、「カン、カン、カン」と鍋を叩く音が病院に鳴り響く。お粥を乗せたリヤカーが病棟前に到着した事を、患者たちに知らせるためだ。各自のお皿を持った患者達は、リヤカーの前に一列に並びはじめた。みな同じように、痩せ細っている。衰弱し過ぎて、まっすぐ立つことが出来ない患者もいる。お粥を受け取り、杖をつきながら病室に帰る
老婆がいた。寝たきりのエイズ末期の患者も多く、彼らのお粥を、まだ歩く事のできる患者たちが手分けをしてベッドに
届けている姿があった。

ノイもお粥を受け取り、病室へ戻っていった。幸せだったノイの家庭は、エイズによって崩壊した。 呻き声を上げる
母親の体をさすりながら、16歳のノイは自らの家庭に起きた”悲劇”を語ってくれた。

「父も2年前、母と同じように、エイズで苦しみながら死にました」
1999年、高熱が続いた父は州立病院に行った。最初はマラリヤだと思ったが、しかし血液検査の結果、エイズを
発病していると診断される。当人も母も、それにノイも、その時まで「エイズ」の詳しい知識など全くなかった。

エイズ患者専用の感染病棟に移された父親は、2週間ほどでほとんどの髪の毛が抜け落ち頬がこけて別人のようになった。
「父の姿は余りにも痛々しかった。そして、入院してから3ヶ月ほど経ったある日、担当医に『退院してもよい』と
告げられました」
父に死期が近いという合図だった。
「どうせ死ぬのなら、父を家に連れて帰りたい」
ノイと母は、同じ思いだった。

ノイの実家はタイ国境に近いバンテイ・メンチェイ州にある。すでにミイラのように痩せた父親を毛布で包み、
バッタンバン市から車を何度も乗り継いで家族三人は実家に着いた。父はその日の夜、ノイと母親に詫びるように
こう言ったという。
「売春宿で感染したのかもしれない。俺がバカだった。許してくれ」

ノイの父親は長距離トラックの運転手として、タイ国境の町ポイペトで働いていた。
ポイペトにはカジノが立ち並び、ドラッグや人身売買などタイ国内では違法とされている行為が、カンボジア側で公然と
行われている。カンボジアでエイズが流行したのは、無秩序に発展したセックス産業が一番の原因だった。ポイペトの
裏通りにもたくさんの娼婦がいて、そこでは1ドル払えば女性が買えた。

実家に戻って3日後、ラジオを聞きいていた父親は、そのままひっそりと死んだ。

翌日、母が村の寺院にある共同火葬場に行くと、「感染病のエイズ患者は火葬できない」と言われたという。
隣の村でも同じだった。エイズの知識が乏しい地方では、患者とその家族は酷い差別を受けた。

仕方なく母とノイは、薪を集めて、稲を刈り終えた田畑の一角で、半日以上かけて父の亡骸を火葬した。
変わり果てた父の亡骸を荼毘に伏している時、長い看病生活に疲れきってしまった母親は、涙をひと粒も流さなかった。

そして、父が死んだ翌年の2001年、それまで元気だった母親の体調が急に崩れた。酷い頭痛と下痢が続き、もしやと
思いHIV検査を受けた。数週間後にプノンペンから送られてきた検査結果には、”陽性”という文字に印があった。
HIVウィルスが夫婦間で感染したことは、間違い無かった。
「結果を聞いた時、母は愕然としていました。自分が死んだ後、残される私の事が心配だったのでしょう、
うろたえるばかりでした」

2001年12月、エイズは母親の体を蝕んでいった。
「母の体の筋肉がどんどん落ちていくのがわかりました。その頃から、それまで親しかった近所の親類などは、
エイズを恐れて家に近寄らなくなりました」
ノイは学校に行くと「エイズの子供」と呼ばれた。酷い差別を受けた母と娘は、村を追われた。他に身を寄せる場所は
なく、二人はバッタンバン州立病院に向かった。母は、父が死ぬ直前までいた同じ感染病棟に入院した。

2002年1月20日、死期が近い母親を必死に看病するノイがいた。
翌日の朝、病室を訪れると、母親がいたベッドには、別の患者がいた。

「母は、今朝の4時ごろ、亡くなりました」
ノイはこう言い、まとめてあった自分の荷物を抱えた。そして、迎えに来たNGO職員と孤児院に向かった。


免疫システムを破壊する

エイズの最初の症例が米国で発表されたのは1981年、以来HIVウィルスは世界中で流行を続け、現在HIV感染者は
4000万人、そして年間300万人がエイズを発病して死亡している。エイズは正式にはAIDS「後天性免疫不全症候群」と呼ばれ、HIV「ヒト免疫不全ウイルス=通称HIVウィルス」の感染によって引き起こされる病気だ。
いったんHIVに感染すると、免疫機能の中心的な役割をしているリンパ球(白血球の1種)そのものをHIVは破壊する。
そして、健康な免疫システムなら抑えられる結核や肝炎などの病気にHIV保持者が感染すると、もはやHIVに犯された
免疫システムは闘うことは出来ない。エイズを発病して、様々な感染症や悪性腫瘍などを引き起こし、命を落とす。

1996年にHIVの増殖を抑える薬剤として「プロテアーゼ阻害剤」が開発されている。しかし年間1万5000ドルの
費用が掛かり、1部の先進国の人々だけが手に入れる事ができ、とても発展途上国の人々には手が届かない。
「AIDSVAX」と呼ばれるHIVウィルスの感染予防ワクチンの開発も期待されているが、まだ臨床試験段階だ。
エイズ撲滅のために、世界各国が研究を続けている。しかし、未だにHIVがエイズを引き起こす正確な仕組みなどは
解明されていない。


国民の70人に一人がHIV感染者

カンボジアで初めて献血輸血中にHIVウィルスが発見されたのは1991年。以来エイズは最も深刻な問題となり、
現在国内のHIV感染者は約17万人、国民70人に1人がHIVに感染している計算となる。
15才以上の成人の4パーセントがHIVに感染しており、HIV感染率は東南アジアの中で最悪の数値だ。

エイズ孤児の問題も深刻になっている。昨年まで5000人以上の子供が胎児感染で死亡している。
現在のエイズ孤児は3万人、しかし2004年までに14万人の子供がエイズ孤児になると予想されている。

そして最も深刻な問題は、次世代を背負う若者たちに、HIV/エイズが広がっていることだ。国連エイズ計画(UNAIDS)に
よると、国内で毎日新たに100人がHIVに感染し、その感染者の半分が24歳以下という。カンボジアは過去の内戦で
数百万人の国民を失っており、その影響で、現在国内の人口構成は20歳以下が国民全体の54・8%を占めている。

地元の医師が言った。
「カンボジアは内戦で一世代を失っている。しかし今、国の未来を支える若者たちが、死のウイルスによって滅ぼされて
いる。政府と国民は今、真剣になってエイズと闘わなければいけない」



コンドームを拒否する客に殴られる

「カンボジアにエイズが蔓延したのは、無秩序に発展した性産業が一番の原因です」
国立エイズ局(National Aids Authority) のティア・パラ所長は言う。

HIV感染源は、主に性産業で働く女性だ。国立エイズ局によると、プノンペンだけでも2万人の売春婦がいて、
その8割がすでに、エイズ発病を引き起こすHIVに感染しているという。

フン・セン首相は昨年、国内すべてのカラオケバーや売春宿を強制的に閉鎖、ドラッグや人身売買などに関与する組織の
摘発に積極的に乗り出した。「東南アジアの中で最もHIV感染率が高い」と汚名を受けての苦難の策だった。

しかし政府の強行政策は、表向きだけで、HIV感染率を下げるには至らないという指摘もある。
地元紙プノンペン・ポストのボウ記者は言う。
「カラオケバーが閉鎖されて以来、売春婦は路上で客を取りはじめた。もともと貧しい地方出身者の彼女達は教育も受けていない。田舎に帰っても、都市に残っても、仕事などないんだ」

エイズがカンボジアで急激に蔓延した理由の一つに、内戦の傷跡、そして貧富の差が強く関係している。
ここ数年、都市では現金収入を得る機会が増えている。しかしその反面、長く続いた内戦で農業の基盤が破壊された農村
地帯では、慢性的な貧困に悩んでいる。不作の年には食料が不足し、病気の時などに現金が必要となる。そのような時に
親は仕方なく、50ドル(約4000円)程で売春ブローカーに子供を売ってしまう例が後をたたない。

深夜、プノンペンの路上で客を待つ一人の少女がいた。名前はピア。19歳。プノンペンに来て1年ほどと言った。以前はカラオケバーで働いていたという。
出身はベトナム国境付近のプレイ・ヴェング州。 実家は農業をしていたが、干ばつが続いて食べ物がなくなり、
一番年上だったピアが売られる事になった。売られると決まってから一週間、実家を出る直前まで、母親は泣きながら
ピアに謝り続けたという。

「カラオケバーで働いていた時は、1晩に一人の客と寝るだけでよかった。店で寝泊まり出来たし、食事もあった。
今は仲間とアパートを借りているので、1晩に3人以上の客をとらなければ生活できない。客のホテルに行くのは恐い。
時々、コンドームを拒否する客に殴られることもあるし」
ピアは言った。


少しでも人間らしく死なせてあげたい

「これ以上生きているのは嫌です。早く死んで、楽になりたい」
エイズを発病して半年ほどになるメイが、真顔でこう語った。
28歳の彼女は結核を患っていて、苦しそうに咳き込みながら嘔吐しはじめた。

7年ほど前に結婚した夫は、昨年エイズで死亡した。二人の子供は実家に預けてあるという。
「私にHIVを移した夫を憎んでいません。ただ、もう、何をしても手遅れだと思います」
彼女は続けた。
「何度も入退院を繰り返しています。もらえる薬は結核の治療薬だけです。エイズの為の薬が欲しい」

感染病棟では、60人の患者に対し、看護婦はたったの3人しかいない。
「看護婦たちにとって、この病気を相手にすることは精神的にとても辛い」
バッタンバン州立病院の感染病棟所長、スセップ医師は言う。
「エイズの発病を抑える薬は、1ヶ月200ドル以上と高く使用できない。この病院の医療設備は乏しく、
悔しいけれども今の私たちに、エイズ患者たちを助けることはできないのです」

医師は最後にこう付け加えた。
「今私たちに出来ることは、エイズ患者たちを、少しでも人間らしく死なせてあげる事だけなのです」

その日、感染病棟で一人の男性が息を引き取った。骨と皮だけの体には何1つ身にまとってなく、まるでみの虫のように、汚れた毛布で包まれていた。担架を持った職員が来て、開いていた男性の目を無造作に閉じた。男性の身の回りの物や
残っていた薬などは、周りの患者が奪いあって、すぐに無くなった。
横には、残された6歳になる子供がいて、何も言わずに立ったまま、その光景を見ていた。

「悲しい、とても悲しい」
感染病棟で研修を受けていた医学生の一人が、あまりにも哀れな”死”を目の当たりにして、目に涙を浮かべながら
こう呟いた。
「わたしたち医師を目指す者にとって、苦しんでいる患者を助けられないのは、とても屈辱的なことです」

男性の遺体は、病院からそれほど遠くないお寺の火葬場に運ばれた。
よほど無念だったのか、遺体を見ると、閉じられた目はカッと開いていた。

遺体にガソリンがかけられ、火が付けられた。

2時間後、男性は灰になった。
子供は、父の小さな遺骨を掴み、ポケットに入れた。

残った遺骨は灰と共に、火葬場の裏庭に捨てられた。その遺骨を、放牧されていた牛が食べはじめるのを見た。


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