The khmer Rouge: Genocide and insanity

虐殺と狂気



プノンペンの住宅街にあるツ−ルスレン中学校跡地は現在、虐殺の証拠などを展示した博物館となっている。

ポルポト政権が誕生した後、ツールスレン中学校は政治犯の尋問センターとなった。
S-21というコードネームで呼ばれ、3年8ヶ月の間に少なくとも1万4千人が収容されたといわれる。
表向きには尋問センターだったが、校舎は事実上、処刑場と化した。
S-21から生きて出られたのは、ポルポト政権が崩壊した時に奇跡的に生き延びた、たったの7人だけだった。

ポルポト派は1975年4月、アメリカの後ろ盾を受けてクーデターで誕生したロンノル政権を倒す。
そして理想のユートピアを祖国に築き上げようと、紙幣を廃止して、都市からすべての市民を農村へ強制移動させた。
機械に頼らず人力でダムを造りあげ、そして西洋医学は否定され、人々は次々と倒れた。
共に戦ったベトナムとはその後決裂、内部分裂がおき、疑われた者はその場で処刑された。
この3年8ヶ月の間で、150万人が命を落としたといわれる。

そして、カンボジアで30年以上続いた内戦が終結したのは1998年。
ポルポト兵はみな、銃を置き、ひっそりと暮らし始めた。

「命令に背けば殺された」
一人の虐殺に加担した元兵士が言った。
いまでも時折、悪夢を見るという。

カンボジアで大量虐殺の責任を問う特別法廷が始まろうとしている。
しかし、ポルポト元首相はすでに死亡し、元幹部たちはみな虐殺の関与をすべて否定している。

150万人もの国民を殺した責任は、一体誰が償わなければならないのか。

 

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