“Lost loved ones:
Portraits from the Deep South into the Red Zone”



混乱が続くタイ南部。2004年から07年7月までに2300人以上が殺害され、6000人が爆弾や銃撃などで負傷している。そして紛争で夫を亡くした女性は1000人を超し、親を失い孤児になった子供は1800人に達した。

現在写真家として、家族を失った人々を支援する小さな援助団体と共に、南部で活動している。
タイトルの"Lost loved ones"とは、最愛の人を失って、という意味がある。愛する家族を一瞬の間に失った悲しみは、消えることなく、一生背負って生きなければならない。

これまで多くの人々に出会い、カメラを向けてきた。
父親を目の前で射殺された少女は、その日から感情が消え、瞬きもせずに一点だけを見つめていた。一人の女性は斬首された夫の遺体を見て以来、記憶が所々消えてしまったといい、両親の死をまだ理解出来ない2歳の男の子は、祖父に抱かれて泣き続けていた。そして双子を身ごもっていた時に夫が殺された女性は、最愛の夫の死を認めることができず、もがき苦しんでいた。一人として犯人が逮捕された事実はなく、不条理の中で生きる人々の姿から目をそらさず、直視して欲しいと願いながら撮影を続けている。

フォトストーリーは2004年から07年までの写真で構成され、主にレッドゾーンで撮影されている。
レッドゾーンとは”赤く染められた地域”という意味で、政府が完全に制圧出来ていない地域を呼ぶ。そこでは、少数派の仏教徒はイスラム系住民と武装集団に怯え、イスラム教徒たちは武装した仏教徒と治安部隊に怯えている。人々は同じ恐怖、そして同じ悲しみを抱えながら日々暮らしている。

タイ国内の援助団体、それに首都に拠点を置く国際的な団体の活動は、南部では数えるほどしかない。原因は宗教の違いや治安悪化もあるが、歴史的に中央政権に見放され続けてきた南部の人々の多くが、首都の組織を信頼していないという事実もある。

タイ南部問題が国際的なニュースとして扱われる事は、数十人が一度に死ぬ事件がない限り稀である。 現在も泥沼化する争いは続き、日々混乱を増している。人の目に触れない紛争だからこそ、追い続ける価値があり、そして見放された人々だからこそ、共に働く意義があるのだと信じている。

       

                                        2007年7月

  

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<紛争の背景>

治安悪化の始まりは2004年1月4日、武装グループによる軍基地への襲撃だった。大量の武器弾薬が盗まれ、以後連日のように南部で暗殺や爆弾事件が起きる。タクシン元首相は南部を非常事態宣言下におき、治安部隊を倍増した。過激派と疑われたイスラム教徒の若者を連日逮捕状なしで連行し、更に暴動時に政府軍がイスラム教徒数十人を殺害する事件が起きた。多くの南部の若者が政府の強攻策に反発して、当時少数派だった独立派武装組織に共感し、武力で制圧するという政府の政策は、逆に武装組織を巨大化させる結果となった。

タイは仏教王国として知られているが、 マレーシア国境に近い南部3県(ヤラー・パッターニ・ナラティワー)では130万人に上るイスラム教徒が多数を占め、逆に仏教徒は36万人と少数派となる。

南部は以前イスラム教徒が支配するパッタニー王国だった。 しかし1902年にタイに併合され、そして中央政権は、マレー語を話すイスラム系住民にタイ語を公用語とし、中華系タイ人を南部の行政の要職につけた。更に仏教作法を義務教育に取り入れることを提案するなど、中央政権はイスラム教徒たちの反感を買った。以後タイ政府に不満を抱いたイスラム系住民が独立派を組織して闘争を開始、これまで度々争いが起きていた。

そして一般的に南部問題は、歴史的な背景があって、タイから独立を目指すイスラム独立派組織と政府軍との戦いと言われている。しかし、実際にはマレーシアとの国境での莫大な利益と権利を巡って多くの問題が存在し、それらが複雑に絡み合って、今の最悪の状況を作り上げたことはあまり知られていない。

タイ南部は長い間、軍と警察が利権を巡り争ってきた地域である。隣国から密輸された麻薬や冷戦時代の古い銃器は、南部の港から国外へ売られ、そして国際組織のマフィアは南部で人身売買にも関与している。問題は、これまで軍と警察の利権争いやマフィアの抗争、そして個人的な恨みの殺人も、独立派と治安部隊の争いに置き換えられてもみ消されてきた事である。イスラム教徒指導者が暗殺されると、政府の秘密部隊が関与したと噂が広がり、その報復に仏教徒の教師が銃殺され、更に僧侶が斬首された。政府の規制に怯えて真実が書けない地元の新聞は、すべてイスラム過激派の仕業だと一斉に報道し、更に裏で状況を煽る互いの組織が後押しする。共に問題なく暮らしていた異教徒の間に、徐々に憎しみの感情が埋め込まれ続けたのである。そして現在も、仏教徒とイスラム教徒との間の亀裂は広がり続けている。





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ー 深南部で続く復讐の連鎖 ー

妹を目の前で殺された一人の仏教徒の女性
イスラム教徒に復讐を誓い、仇を討つために軍事訓練を受ける
非常事態宣言が布かれた村で一体何が起きているのか

                                        

2007年5月 アエラ掲載



<仏教徒はこの土地から去れ>


「私たち仏教徒は以前、イスラム教徒と共に暮せた。でも家族を殺されたあの日、私の心の中の何かが
壊れてしまった。もう信じることはできない」

48歳のソムシーはライフル銃を抱え、仏教徒自警団の制服に身を包んでいる。村には武装した仏教徒の女性が6人いて、彼女はそのうちの一人だ。一般の女性が武装して闘っている村は、タイ国内でもこのサンティー村だけで、みな身内や家族を武装組織に殺された。

ソムシーは目の前で妹夫婦を処刑された。

「昨年11月でした。数発銃声を聞き、妹夫婦が暮らす隣の家に駆けつけると、そこには拳銃を持った
数人の男がいました。妹はうつ伏せになってソファーに横たわり、義理の弟は血だらけになって床に
倒れていた」

妹の体が震えているのがわかった。拳銃を持った一人の男が、妹の後頭部めがけて引き金を引いた。
銃声と共に何かが弾けるような音がした。ソムシーは一瞬閉じた目を、数秒後に無意識に開らく。

「妹の頭から、血が、まるで噴水のように噴出していました」

男たちは遺体の上に、数枚のビラをばら撒いた。髪の短い男は帰り際、不気味に彼女に微笑んだという。残されたビラには、南部独立を掲げる武装組織「パッターニ・イスラム国家戦士」の名前でこう書かれていた。

「この土地を守ることが我々マレー人の宿命だ。仏教徒はこの土地から去れ。去らなければ永遠に平和は来ない」

白昼の処刑は、サンティー村の仏教徒たちに衝撃を与えた。事件の翌日、村の仏教徒全員が軍に護衛されて、100キロ離れたヤラー市内の寺院に避難した。


<毎日憎しみが生まれている>

タイ南部ヤラー県バンナンサター郡。深い密林が広がるマレーシア国境に面し、巨大なダムに沿って
山脈が連なる。山の麓にあるサンティー村には約2000人が暮らす。9割がマレー系イスラム教徒で、
残りの1割が仏教徒だという。全国民6500万人の95パーセントが仏教徒のタイでは、イスラム教徒は
わずか4パーセント。 しかし南部3県(ヤラー・パッターニ・ナラティワー)では130万人に上る
イスラム教徒が多数を占め、逆に仏教徒は36万人と少数派となる。

南部では3年ほど前、世界的な宗教対立の煽りを受け、イスラム武装組織が“南部独立”を掲げて再度
活動を始めた。政府は3万人の治安部隊を南部に送り、非常事態宣言を布き武装組織メンバーを逮捕状
なしで拘束した。秘密警察によって連日イスラム教徒住民が暗殺され、強攻策は地元住民の反感をかい、多くのイスラム教徒の若者が武装組織に共感し、これまで沈静化していた独立運動が逆に広がることに
なった。

そして南部では長年、国境での莫大な利益を巡って軍と警察が利権争いを続けていた。たとえ個人的な
恨みの犯行でも、仏教徒への襲撃はすべてイスラム武装組織の犯行とされ、逆にイスラム教徒が殺されると仏教徒の治安部隊が殺したと片付けられた。
事件が迷宮入りしていく中、次第に“仏教徒とイスラム教徒の闘い”に発展し、異教徒の住民の間に亀裂が広がっていく。

「毎日憎しみが生まれている」パタニー大学の教授、イスラム教徒のムハマッド氏がいう。

「このままでは、ボスニアやルワンダと同じように最悪の事態になる。 それだけは回避しなければならない」


<生きる為に銃を持つ>

2007年7月までの死者は2300人以上、更に6000人が爆弾や銃撃などで負傷している。その半数が仏教徒で、すでに多くの住民が南部から移住し、首都では「仏教徒の大移動」と報道された。政府は武装組織との話し合いによる解決策も提案し、同時に軍は、自衛という名目で仏教徒の村に自警団を結成させた。妹夫婦を処刑されたソムシーもその一人だ。彼女は言う。

「時折基地内で軍事訓練を受けています。出来れば銃を持ちたくはない。でも私は、生きていくために
銃を持って闘っているのです」

ソムシーは今、サンティー村で夫と二人で暮している。畑を耕し、武装した車で麓の村に行商に行き、
夜は自警団のパトロールに参加する。すでに数回、銃撃戦も経験した。そして時折、近所のイスラム教徒とすれ違うこともある。今は挨拶をすることも、話をすることもない
という。

「イスラム教徒の親友や幼馴染でも、私を殺すかもしれない。そして彼らも、私たち仏教徒のことを
恐れています」
壁に掛けられた妹の写真を見つめながら、ソムシーは最後に言った。

「妹の仇も、いつか討ちたい。怖くはありません。私は撃たれる前に相手を撃ち殺すように訓練を受けています」

サンティー村の仏教徒17人がすでに殺害され、そのうち3人は斬首されていた。イスラム教徒も連日
殺されている。秩序が消えた村には現在、非常事態宣言と夜間外出禁止令が布かれている。

                                   



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