写真展/出版物/イベントなどの最新情報 !
What's New!
2010年6月10日
タイ外国人記者クラブでのイベントです。
---イベントno.1---
<パネルディスカッション>
6月10日木曜日/午後8時/メンバー以外は300バーツ
"2ヶ月続いたタクシン派のデモ、そして強制排除を取材したカメラマンとジャー
ナリストたちが、現場での出来事を話します。一体何が起こり、80人以上の死者
を出した責任は誰にあるのか"
http://fccthai.com/items/316.html
---イベントno.2---
<写真展のオープニング>
6月11日金曜日/午後7時/フリーチャージ
タイ混乱を撮影した9人の写真家の合同写真展
写真家:Agnes Dherbeys -Athit Perawongmetha - Masaru Goto - Nick Nostitz -
Olivier Sarbil - Patrick de Noirmont - Roger Arnold - Siripong Kanjanabut -
Vinai Dithajohn, Editor: Olivier Nilsson
http://fccthai.com/items/318.html
2010年6月10日
"Thailand Divided"
新しいフォトストーリーをアップしました。
2ヶ月続いたタイの混乱を記録したフォトストーリーです。
写真を見るにはこのリンク www.masarugoto.com をクリックして,
右上にある PROTFOLIOS の "Thailand Divided" をクリックしてください。
その他の写真はこちらで見る事ができます。
http://masarugoto.photoshelter.com
現在サイトには英語しかありませんが、以下に日本語の文章があります。
あわせてお読みください。
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"Thailand Divided"
最近タイのテレビや雑誌社から、インタビューを受けた。軍と政府、それに反する市民運動、そして王室が作り上げてきたタイの民主主義の歴史は、一言では説明が難しい。外国人ジャーナリストから見た今回のタイの混乱をどう思うかと、記者から質問をされた。
「対決は赤と黄色、都市住民と農民、軍事政権とコミュニスト・ゲリラのような部隊、特権裕福層と貧民、ベンツと市バス、エンポリアムとクロントーイ市 場。。。」と思いつくままにタイに存在する比較例を言う。
簡単に比較できることほど、今回の権力争いにも引き出された。「特権裕福層は都市で贅沢な暮らしをし、軍を使って我々を殺そうとしている」デモ隊のリーダーがよく叫んでいた言葉である。それを田舎から出てきた農民たちは毎日朝まで聞かされた。チェ・ゲバラのTシャツを着た一人のリーダーは、共に死ぬまで戦おうと農民達に言った。農民達は信じ込んだ。軍と衝突した時、武装集団もいたが、ほとんどが石と火炎瓶で戦った。スナイパーが銃を構える前で立ちふさがる者もいた。自殺行為そのものだった。そして軍が突入してきた日、デモ達のリーダー達は政府に降伏して生き延びた。そのとき、銃弾を浴びて死んでいった人々の死は、無駄になった。
混乱が続く中、政府は国営放送を通じて人々にこう伝えた。「テロリストが首都を崩壊させようとしている。人々の安全の為に、私たちは仕方なく武器を使う」地位と財産を守りたい者は、この政府の言葉を、国家を守るためと黙認した。軍のスナイパーが武器を持たない者を撃ち殺した事を知っていても、いくらデモ隊を殺しても解決策にならない事を知りながら、知らぬふりをした。ハイソな市民が発した、「タイ人は平和を愛している。タイ人同士の争いは止めよう」という言葉は、仲間の血を浴びて死と隣り合わせにいた最前線のデモ隊には届かなかった。
インタビューをしていた記者は、最後にこう聞いた。
「これは内戦だと思うか?」
僕は言った。
「無差別に手榴弾を爆発させて人を殺したデモ隊、そして目の前を横切る人を動物のように撃ち殺した政府。内戦とはこのような事をいうのではないか」
記者は静かにうなずいた。
2009年10月15日
-オンライン・シンポジウム-
10月15日にオーストラリアのGriffith大学で、ジャーナリズムとドキュメンタリー、
そしてJustice(正義)をテーマにした、世界初のオンライン・シンポジウムが
行われます。詳細はこちらのリンクにあります。参加できる方は、左下のリンクを
クリックして、レジスターから登録してください。
http://cdp.edu.au/cdp/conferences-and-events
参加アーティストは以下です。
http://cdp.edu.au/cdp/conferences-and-events/speakers
Ed Kashi
Jodi Bieber
Marcus Bleasdale
Shahidul Alam
Gary Knight
Adam Ferguson
Travis Beard
Michael Coyne
Masaru Goto
Jack Picone
Megan Lewis
2009年9月17日
スライドショーナイト in ロサンゼルス!
Enduring Scars: Sri Lanka's Aftermathも上映されます。
時間:7時から9時まで。
場所:The Annenberg Space for Photography
2000 Avenue of the Stars #10 Los Angeles, CA. 90067
www.annenbergspaceforphotography.org/events/slideshow_night.asp
2009年9月9日
フォトストーリー掲載誌のお知らせです。
9月9日(水曜日)発売/16日号のニューズウィーク日本版に、スリランカで撮影
したポートレートシリーズが掲載されます。P72-P75/カラー4ページです。
-PICTURE POWER-
The Unending War:内戦が残した傷だらけの現実
Photographs by Masaru Goto/Guevara New York-Creative Media Agency
サイトには来週から写真がアップされます。
http://newsweekjapan.jp/picture/
2009年8月6日
- LOST LOVED ONES -(写真展オープニング)
日時:2009年8月6日 午後7時〜
場所:Cinema House RCA
住所:RCA PLAZA 3F 31/8 RCA RD.BANGKOK
電話:0-2641-5177-8
地図:http://www.houserama.com/contact/house_map.html
サイト:www.houserama.com
*写真展は8月31日まで行われています。
2009年7月
NEW STORYをアップしました。
-スリランカの傷跡- -Invisible Victims: Sri Lankan War Scars-
スリランカ内戦での犠牲者の姿を記録したドキュメンタリーです。
写真を見るにはこのリンク www.masarugoto.com をクリックして,
右上にあるPROTFOLIOSの Invisible Victims: Sri Lankan War Scars
をクリックしてください。
現在サイトには英語しかありませんが、以下に日本語の文章があります。
あわせてお読みください。
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-スリランカの傷跡-
「私の夫は25年前に行方不明になりました。みんな、夫はすでに死んだと思っていますが、私は違います。戦争は終わりました。でも私の戦争は、夫が戻ってくるまで、まだ終わらないのです」
-スリランカ北部で暮らす女性-
スリランカ政府軍(SLA)は今年5月、同国北部のタミール・イーラム解放の虎(LTTE)の拠点に総攻撃をかけ、最高指導者を殺害した。LTTEは事実上壊滅し、アジアで最も長く続いたスリランカの内戦は終結した。
25年間続いた内戦の死者は8万人以上、そして両者の争いによって行方不明となった人々の数は、数千人といわれる。
内戦は終わった。しかし国内では、多くの戦傷者、孤児、戦争で夫を亡くした女性たち、そして戦争の影響を受けた子供たちが、声を出すことなく静かに暮らしている。
スリランカ政府は現在も、ほとんどの外国のメディアと援助団体を拒絶している。犠牲者たちは姿を見せることなく、戦争で負った傷跡と共に生きている。
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2009年5月
New Storyをアップしました。
- Fragile Democracy: Political Crisis in Thailand -
崩れる民主主義: 独裁政権、それとも人民革命か
ストーリーは、昨年からバンコクで続く政治混乱を追った話です。
写真を見るにはこのリンク www.masarugoto.com をクリックして,
右上にあるPROTFOLIOSの Fragile Democracy: Political Crisis in Thailand
をクリックしてください。
現在サイトには英語しかありませんが、以下に日本語の文章があります。あわせてお読みください。
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崩れる民主主義: 独裁政権、それとも人民革命か
「頭を伏せろ」と誰かが叫んだ。頭上に火炎瓶が飛んでいくのが見えた。ガシャと音がして武装した兵士の近くで燃え上がる。足下が燃え上がった兵士は、苦痛に顔を歪めながら後方に運ばれていく。デモ隊の群衆はそれを見て歓声を上げる。軍の司令官が何やら怒鳴った。号令がかかり、まだ幼い顔の兵士たちが自動小銃を水平に構えた。デモ隊は手製の爆弾を投げつけ始めた。暴動は激しさを増していく。武力による鎮圧しか残されていなかった。一列に並んだ兵士たちは、銃を斜め上に上げた。一斉に銃声が響き渡った。
<二等分されたタイ>
都市部の特権裕福層が支持する民主主義市民連合(PAD)、そして農村部基盤のタクシン派団体・反独裁民主戦線(UDD)。タイ国民は現在、二等分され、PADとUDDに分かれて首都バンコクでデモを起こしている。デモは暴動になり数百人が死傷、現アピシット政権はタクシン派リーダー多数を拘束してUDDの活動を停止させた。しかしタクシン元首相は国外から、勝利が来るまで戦い続けると宣言し、逃亡中のタクシン派幹部は、ゲリラ戦もありえると政府を脅している。
<特権裕福層と最貧困層>
タクシン政権は地方の農村部低所得者層から圧倒的な支持を得て、2001年に発足した。ビジネスで得た巨額の財産を使い、それまで見捨てられてきた貧困層に欲しいものを与え、タクシン氏は自らの政党を支持することを人々に約束させた。資金には困らなかった。ばらまき政策といわれ、次第に都市部の旧来のエリート層たちは、地方重視のタクシン政権に自らの利権を奪われるのではと不安を抱き始める。タイの政治の実権は、ずっと特権裕福層が握ってきた。その後、貧富の差と権力が絡む醜い闘争は、徐々に拡大し、2006年に表面化することになる。
<タクシン派壊滅>
PADは2006年、打倒タクシン政権を掲げて大規模な抗議集会をバンコクで開催する。軍は王室に忠誠を誓うPADを支持、クーデターを起こしてタクシン首相を国外に追放した。しかし2007年、農村部からの支持があるタクシン派は、またしても下院選で勝利する。選挙では勝てないと痛感したPADは2008年10月、再度数万人を導入し、打倒タクシンを掲げてドンムアン・スワンナプーム国際空港を封鎖、そして首相官邸を占拠し、警察部隊と激しく衝突して400人以上の死傷者を出した。
同年12月、PAD寄りの憲法裁判所は、タクシン派の政党に選挙違反を行ったとして解党処分を下した。事実上、タクシン派が政治に関わることは不可能になり、同派は壊滅した。そして反タクシン派のアピシット政権が誕生する。
<宣戦布告、そして人民革命>
しかし戦いはまだ終わっていなかった。2009年4月、UDDは決起集会をバンコクで開催し、数万人が首相官邸を占拠した。タクシン元首相は国外から、プミポン国王の側近であるプレム枢密院議長を、自らを失脚させた“クーデターの黒幕”であると名指しで批判した。それは事実上、王制の批判でもあり、“宣戦布告”だった。すでに両者の話し合いの道は閉ざされていた。タクシン元首相は、農村部からのデモ隊に“人民革命”を呼びかけ、特権裕福層のアピシット政権打倒を叫んだ。地方から数万人のUDD支持者が集まり、デモ隊はバンコクの主要な道路を封鎖、数十台のバスに火がつけられ、市内の至る所で黒煙が舞い上がった。
<10歳のパヌ>
UDDのデモ隊に参加していたパヌという男の子がいた。10歳だという。北部から来た彼は、裸足で棒切れを持ち、火炎瓶をズボンのポケットに入れている。軍がデモ隊を強制排除するという朝、夜通し見張りをしていたパヌは、道路に新聞紙を敷いて2時間ほど寝た。朝日が昇り、バリケードの向こう側に装甲車と兵士たちの姿が見えた。パヌは、ガソリンが漏れている火炎瓶を握りながら、じっと兵士たちを見ている。彼がどれほど政治の事を理解しているのだろう。パヌの姿は、権力闘争に翻弄されている人々の姿と重なった。装甲車がうなりを上げて少しずつ前進し始めた。武装した兵士達もゆっくりとこちらに向かってくる。“チョークディー(幸運を祈る)”といいながら、彼と肩を抱き合った。痩せた彼の体は、ガクガクと恐怖で震えていた。
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2009年5月1日〜6日
-The Move Media Rights Festival-
‘Lost Loved Ones'
写真/後藤勝 詩/Korakot Nym Punlopruksa
-オープニング- 5月1日/午後4時から6時/バンコク/October 14 Memorial Hall
Democracy Monument付近のTh Ratchadamnoen Klang とTh Tanao の交差点に
あります。
- http://www.mmrf-asia.org/index.html -
2009年3月13〜15日
PhotoZero 2009 -Raindogs- in Bangkok
写真展 "Lost Loved Ones"
http://www.photozero.org/
2009年1月
IInternational Festival of Photography
"Chobi Mela V"
-写真展- Dhaka, Bangladesh.
2009年1月10日
新しいフォトストーリーをアップしました!
写真を見るにはこのリンク www.masarugoto.com をクリックして,
右上にあるPROTFOLIOSの
Ghosts in the Temple: The Destiny of former Khmer Rouge Soldiers をクリックしてください。
現在サイトには英語しかありませんが、以下に日本語の文章があります。あわせてお読みください。
プレアビヒア寺院の亡霊:元ポルポト軍兵士たちの運命
大きな塹壕の前で、一人の元ポルポト軍兵士がいた。銃口が錆び付いた小銃を抱えて、
目の前に広がるドンラック山脈を見ている。山の頂上には、はっきりとタイ軍兵士たちの姿が見えた。
兵士はぽつりと言った。
「もし戦闘で死んだら、俺たちは亡霊になる。そしてクメールの土地に建つこの寺院を、永遠に守り続ける」
2008年7月。プレアビヒア遺跡が国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって世界遺産に登録された。しかしこの決定が、遺跡周辺の領有権を争っていたカンボジアとタイの関係を悪化させることになる。10月には両軍が衝突、戦闘で多数の負傷者を出し、カンボジア兵3人、そしてタイ兵1人が死亡した。
10年だけの平和
遺跡付近では、兵士たちは道にいくつものタコ壷を掘り、武器弾薬を最前線に運んでいる。兵士を満載させた軍用トラックが通り過ぎ、夜になると酔った兵士の声があたりに響く。タイ国境に接するドンラック山脈は今、内戦当時の様だ。カンボジアで内戦が終結したのは、ほんの10年ほど前になる。そのときポルポト軍兵士は、みな投降して政府軍に編入された。しかし昨年から、政府はタイ軍と戦闘が始まったときに備え、元ポルポト軍兵士たちをドンラック山脈に送り続けている。
このクメールの土地で死ぬまで戦う
内戦中にこの山脈で、数万人が命を落としている。その土地で元ポルポト軍兵士たちは、再び古く錆び付いた武器を構えはじめた。40年以上も戦ってきた元兵士もいる。彼らは内戦で、教育を受ける事はなく戦闘だけを知っている。そして貧困と無学の為に、兵士の子供たちが同じ道をたどっている事はあまり知られてはいない。
汚れた大きめの迷彩服を体にまとった一人の少年兵がいた。17歳のロンは、元ポルポト軍兵士の父を持ち、昨年政府軍に入隊した。ゾウリを脱いで、戦闘に備えてタコ壷を掘り始めた。
「僕はこのクメールの土地で生また。この土地で死ぬまで戦う」
うっすらと笑みを浮かべながらロンは言う。死後プレアビヒア寺院の亡霊となることが、彼ら元ポルポト軍兵士たちの悲しい運命なのかもしれない。
ゴトウマサル
photographer