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子供たち参加の写真プロジェクト


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スマトラ島最北端のアチェを初めて訪れたのは2001年になる。
女性と子供たちの人権を守るためのフォトキャンペーンをする為に、約2ヶ月間アチェ各州をまわった。

その後各国で写真やスライドショーを行い、アチェで行われている不条理な現状を報告した。
しかしインドネシア政府は2003年、独立派武装組織・アチェ自由運動との和平交渉が決裂した直後、
アチェを軍事戒厳令下に置いた。外国人の立ち入りが厳しく制限され、反政府的と見なされた地元の援助団体の友人や
活動家たちは、次々とアチェを脱出していった。

そして2004年12月26日、スマトラ沖大地震とインド洋大津波が発生し、アチェは壊滅的な被害を受けた。
人口450万人のアチェで、死者と行方不明者を合わせると、20万人以上にも及んだ。州都バンダアチェ周辺の漁村は、
津波ですべてが流されたのだろう、村は見渡す限り何も無く、辺りにはコンクリートの土台がかろうじて残っていた。
津波から3ヵ月後の現在でも、遺体収集作業が続き、アチェ全土での避難民の数は40万人にも達していた。

津波発生後、写真家としてアチェの為に出来ることはないだろうかと、日々考えていた。ただ単にニュースとして捉えるのではなく、もっと深くアチェに関わってゆきたいと思っていた。それは、軍事戒厳令以後、何も出来なかった自身の
後悔の気持ちと、以前助けてくれたアチェの人々への恩返しをしたいという思いがあった。

そして、アメリカのAJAという団体と共に、アチェで津波被災者となった子供たちに写真を教えることになった。
期間はビザが切れる一ヶ月。子供たちにはカメラのテクニックよりも、「記録する事の大切さ」と「写真の楽しさ」を
教えたかった。

13人の子供たちが集められ、みな一人一人、津波で壮絶な経験をしていた。生き残ってしまったという罪悪感と、
一人だけになった孤独感、そしていまだに津波の恐怖にみな怯えていた。それでも写真の楽しさ、そして記録するという重要性を、子供たちに教えたかった。

授業の内容は、まずフィルムの装填の仕方から始まり、そしてシャッターを切るときにしっかりカメラをホールドする
ことなど基本的な事を教えた。

そして何よりも重点を置いたのが、写真の原点でもある「何を撮るか」という視点を持つこと。
カメラと言う機械を体の一部と感じて、シャッターを押す前に、必ず頭で考えること。
考えて撮らない写真は、たとえ美しい風景でも何も意味が無ない。
それが本当に撮りたいものなのか、それをどのように写真で表現したいのか、必ず考えてからシャッターを押すように
と子供たちに言った。

技術的なことは、ただ一つだけ教えた。ファインダーから覗いたときのフレーミングである。
写真のトリミングは時には効果的だが、それよりも「自分の足を使って動き回り、本当に写したい被写体を、
自分の納得した形でフレームの中に取り組むように」と子供たちに言った。

生徒の中には、津波で家と家族を失った子供たちもいた。出来上がった彼らの写真を見ると、避難キャンプや学校の写真に混じって、以前住んでいた家の跡、それに自分で埋葬した家族のお墓などが写っていた。

津波の恐怖や身内が亡くなった悲しみを乗り越え、自らの意思で村に向い、そして子供たちはファインダーを覗いてシャッターを押したのである。

子供たちにとって「本当に写したいもの」とは、たとえ瓦礫になっても思い出が残る家の跡地であり、愛する家族が永遠に眠る場所だった。

津波の恐怖、そして家族を失った悲しみと戦うには、「まずそれに向き合わなければならない」と、地元の教授が言っていたのを思い出す。

子供たちはシャッターを押した瞬間、自ら抱えるトラウマを、自然に乗り越えようとしたのかもしれない。







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