Got right?
Human rights in Colombia




首都ボコタから北へ約250キロ。 人口25万人の都市バランカベルメッハ市。
北部マグダレーナ・メディオ州の主要都市であり、同国最大の油田基地を持つ。

国全体の6割の石油生産量を誇るこの町では、
1980年後半以降左翼ゲリラと右派民兵、そして政府軍とのみつどもえの争いが泥沼化している。

ニューヨーク・タイムズ紙は1991年、バランカベルメッハを「コロンビアで最も危険な町」と呼んだ。


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バランカベルメッハ
" コロンビアで最も危険な町 "



バランカベルメッハ市中心部にある教会の付近を通り過ぎると、数人の子どもたちが何か物珍しそうに眺めていた。
見ると、道端に遺体がゴミのように捨てられていた。頭に数発弾丸を打ち込まれて、手首は後ろ手に縛られている。
射殺されてからまだ間もないのか、頭から流れ出した大量の血が道路一面に広がっていた。空の薬莢が遺体の近くに
散乱しており、数えただけで7個あった。付近は住宅街で、窓越しから市民が不安な表情をして見ている。

地元紙のカメラマンがバイクで駆け付け、翌日の記事の為に遺体の顔をアップで撮った。
「殺されたのは今さっきだな」と地元紙の記者が言い、「あれを見なさい」と遺体の腕や足についていた傷を指差した。
拷問されたらしく、深い傷とあざが体中に残っていた。
「右派民兵がゲリラシンパの市民を殺害した時、見せしめの為に道路に放置する場合が多い。そして必ず遺体から靴を取り去り、裸足にしておく。これは俺達が殺したという合図になっている」
地元紙のカメラマンはシャッターを切りながら、こう言った。

遺体となって発見されたのはフレディー・ニコラス。21歳。彼は3日前から行方不明になっていた。フレディーの母親が駆け付け、現場に泣き声と悲痛な叫び声が響きはじめた。母親は息子の遺体に近づき、近くで遺体の男性の顔を確認し、
号泣した。
「どうして私の息子が!一体誰が殺したの!」
母親は息子の遺体にしがみつき、彼女の着ていたピンク色のシャツは、息子フレディーの血で真っ赤に染まりはじめた。

数分後、装甲車に乗った重装備の警察隊が到着した。警察官は息子の遺体にしがみついていた母親の肩を抱き、遺体から
彼女を引き離した。自動小銃を持った警官たちは、数メートル間隔で現場の周りを囲み、警戒体勢につきはじめる。道路を渡ろうとした一人の女性は、遺体と血の海を見て、抱えていた幼い子どもの両目を手のひらでおおった。簡単な現場検証を済ませた後、フレディーの遺体は無造作にプラスチックバックに入れられた。現場にはおびただしい血痕だけが残った。
目撃者を探すため警察官が付近の住民たちに声をかける。しかし住民たちはみな、首を横に振った。

「誰が殺したのか、誰も知らない。ここには秩序という言葉は存在しない。この町の住民はみな、暗殺者を恐れている」
遠くで眺めていた一人の女性がこう語った。

「見ざる、聞かざる、言わざる、という言葉がある。この町の市民はそうしている。つい最近も密告したという容疑で、
家族5人が右派民兵によって虐殺された事件があった」地元紙のカメラマンが言う。

フレディー・ニコラスの遺体が発見されたのは午後1時過ぎ。その約1時間後、郊外のリオリエンタル地区の路上で二人の男性が暗殺された。 殺されたのはアロンソ・アルバレズ(45歳)とルイス・アルフォンソ(25歳)。二人で都市中心部に向かうバスを待っている時、2台のバイクに乗った4人の若者が近くに停車し、いきなり短銃で二人の頭を打ち抜き、
遺体から靴を脱がした暗殺者は、バイクが停まっている場所までゆっくり歩いてそのまま逃走したという。

そして同日午後4時過ぎ、郊外のボストン地区で1人が暗殺された。 犠牲者のオベド・ピエルチーニ(28歳)は家を出てすぐ、待ち伏せしていた暗殺者によって射殺された。胸と肩に一発ずつ受け、頭には4発以上の弾丸が打ち込まれていた。

夜8時に都市の中心部で一人の女性が暗殺された。路地裏の道を入った所で、暗殺者は彼女の後頭部をめがけて短銃を二発撃った。26歳の彼女は、郊外のボストン地区の病院で看護婦をしていたという。現場に行くと、薄暗い路地裏に殺されたサンドラ・ラモスの遺体があり、数人の友人が遺体の横で啜り泣いていた。

午後11時過ぎ、郊外のミラフローレス地区で、目隠しをされ、両手を縛られたまま射殺されていた男性の遺体が発見される。同じ時刻、エルドラド地区では家の中にいた夫婦が、共に射殺された。翌朝、マグダレーナ川に浮かんでいる一人の男性の遺体が発見された。拷問され、遺体の耳は切り取られ、なくなっていた。警察当局は「男性は昨晩殺害されて川に捨てられたようだ」と発表した。

翌日、郊外の墓地に行った。次から次へと霊柩車が到着し、棺が1時間おきに運び込まれてくる。何組か家族に交じり、
フレディー・ニコラスの母親の姿もあった。
「ああ、息子よ、私も一緒に行く!私も中に入れておくれ」
息子が眠る棺にすがりつきながら叫ぶ母親は、棺の扉を閉めた直後、気を失った。親類たちが彼女をかつぎ、地面へ寝かした。母親の目からは、涙がとまる事なく流れていた。

フレディーの遺体が発見された2001年5月4日、バランカベルメッハ市では1日に9人が暗殺された。
翌日5日には6人が暗殺され、その夜国営放送は「死の町・バランカメルメッハ」と題して特集を組んだ。

「リンピエンサ」

首都ボコタから北へ約250キロ。人口25万人の都市バランカベルメッハ市。北部マグダレーナ・メディオ州の主要都市であり、同国最大の油田基地を持ち、国全体の6割の石油生産量を誇る。1980年後半から左翼ゲリラと右派民兵、そして政府軍とのみつどもえの争いが続くこの町を、 ニューヨーク・タイムズ紙は「コロンビアで最も危険な町」と呼んだ。
「現在バランカベルメッハ市では1日平均3人が殺害されている。特に今年1月から、右派民兵組織がこの町で”リンピエサ”という掃討作戦を始めて犠牲者の数は驚異的に増えている」
地元の人権擁護団体所長レグロ・マデロ氏は言う。

「リンピエサとは”一掃する”という意味がある。まずゲリラ側の容疑者の一人を誘拐し、拷問して仲間の名前を吐かせ、容疑者を次々に殺す。右派民兵たちは、この町に住む左翼ゲリラ側市民をひとり残らず抹殺しようとしている。犠牲者が
最も多かったのは今年の3月、ひと月で128人が殺害された」

「プラン・コロンビア」

37年間内戦が続く南米コロンビア。内戦は政府軍、二代左翼ゲリラ(コロンビア革命軍FARC・国民解放軍ELN)、
右派民兵組織(コロンビア自警連合軍)が入り乱れて戦いを続け、過去15年間で200万人が住む家を追われて難民と
なり、
犠牲者の数は民間人だけで3万5000人にも及んでいる。

内戦の沈静化を図るためコロンビア政府パストラーナ大統領は、1999年、南部ロスポソスで約4万2000平方キロ
メートルの左翼ゲリラ・コロンビア革命軍の支配地から治安部隊を撤去させ、ゲリラ側と和平交渉を続けた。
がしかし翌年の99年、政府は国内の麻薬密売組織を一掃する事を目的とした「プラン・コロンビア」と呼ばれる計画を
行うと発表する。75億ドルの半分は自国、残りは欧州や日本が負担するというもので、国内に出回るコカインの9割、
ヘロインの7割がコロンビアから流れている米国は、麻薬撲滅を掲げた「プラン・コロンビア」に対して、
巨額の軍事援助を含む13億ドルの支援と数百人の軍事顧問を同国に派遣する事を決定した。

米国の軍事援助に対し、麻薬原料コカの葉栽培を主な収入源としている左翼ゲリラ側は、 武装ヘリコプターを含む軍事援助を「対ゲリラ戦の為の援助」と強く反発した。しかし政府は一歩も譲歩する姿勢を見せておらず、昨年8月から本格的に
大規模な”軍事作戦”を各地で行っている政府軍は、抵抗するゲリラ側と激しく衝突している。

「西半球で最も人権が侵害されている国」

戦闘が激化するにつれて、国内で虐殺事件が相次いだ。。人権擁護団体(CREDHOS)は「昨年だけで少なくとも1200人以上の民間人が虐殺された」と報告。虐殺事件は前年度よりも16パーセント高くなっており、昨年起きた236件の虐殺のうち、96件は右派民兵組織が関与しており、41件は左翼ゲリラ、8件は政府軍、残りの91件は調査が続けられて
いるという。

昨年米州の人権擁護委員会は、南米コロンビアを「西半球で最も人権が侵害されている国」と位置づけ、虐殺の対象は、
国内で活動する人権擁護団体やジャーナリストにも向けられていると報告。コロンビアでは昨年14人の人権擁護団体職員が暗殺され、未だに4人が行方不明となっている。暗殺されたジャーナリストは、昨年だけで11人にも及び、
国際ジャーナリスト連盟(本部ブリュッセル)は南米コロンビアを「世界中で最も多くジャーナリストが殺害された国」
とした。

国内では左翼ゲリラと右派民兵、両派による誘拐事件も年々増え続けている。身代金目的の他に敵対する組織のスパイ
容疑で連れ去るケースも多い。誘拐被害に遭った人数は96年には1416人だったが、昨年は3706人に上った。
国内では誘拐事件が1日平均7件発生し、この国では約3時間おきに一人が行方不明になっている。 今年6月現在、
行方不明者の数は3698人にも及んでいる。

「左翼ゲリラ活動に関わる15歳以上の国民はすべて抹殺する」

現在コロンビアでは、国土の約4割が二代左翼ゲリラによって支配されている。国内最大の左翼ゲリラ組織・コロンビア
革命軍(FARC) は同国南部を拠点とし、約1万5000人の兵士を抱える。北部を拠点とする国民解放軍(ELN)には
約8000人の兵士がいるといわれ、二つの組織の資金源は共に、麻薬の原料コカの葉の栽培、解放区で暮らす住民たち
の税金、そして政府官僚や裕福な地主など、富裕者を誘拐して得る身代金が主になっている。コロンビア革命軍は昨年から、「資産百万ドル以上の個人、法人から、年収の10パーセントを徴収する」とする、FARC独自の「法律002号」を
施行し、誘拐を正当化している。

反左翼ゲリラを掲げる右派民兵組織・コロンビア自警連合軍(AUC)は、相次ぐ左翼ゲリラによる誘拐や利権略奪を恐れた
特権富裕層によって組織化された。1997年に結成されて以来、現在全土に約8000人から1万人の兵士がいると
言われる。昨年国内で236件の虐殺事件が報告され、自警連合軍は事件の7割に関与していた。自警連合軍の最高幹部・カルロス・カスターニョ氏は、「左翼ゲリラ活動に関わる15歳以上の国民はすべて抹殺する」と断言しており、
虐殺事件を否定していない。

米国政府は今年5月、相次ぐ虐殺に関与しているとし、コロンビア自警連合軍(AUC)を正式に”テロリスト組織”に
指名した。同組織は政府軍から支援を受けていると言われ、国際社会から避難をあびたコロンビア政府は「右派民兵組織
の取り締まりを強化する」とその後発表している。

「利権をめぐる争い」

「バランカベルメッハで“リンピエサ”を続ける右派民兵組織の最終目的は、マグダレーナ・メディオ州を制圧する事だ」
地元紙「ラ・ノティシア」編集長ディロ・セサー氏は言う。

油田の他にもマグダレーナ・メディオ州には、豊富な資源がある。金脈が残るサンルーカス山脈、川沿いの豊かな土地は
麻薬原料コカの葉の栽培に適しており、現在同州に拠点を置く左翼ゲリラ・国民解放軍によって、約3万ヘクタールの
土地でコカの葉が栽培されているといわれる。そして主要都市バランカベルメッハ市中心部には、州の北西を結ぶ、
戦略上重要なマグダレーナ川が流れている。

ディロ編集長はこう言った。
「バランカベルメッハ市を制圧した者は、マグダレーナ・メディオ州すべてを手に入れる事ができるだろう」

バランカベルメッハ市郊外は数十年来、左翼ゲリラ・国民解放軍(ELN)によって支配されていた。郊外には左翼ゲリラ
シンパの市民約2万人が暮らす「コミュナス」と呼ばれるスラム地区があり、油田施設や都市中心部を制圧していた政府軍も、数年前まで「コミュナス」には一歩も足を踏み入れる事は出来なかった。

「コミュナス」には粗末なバラック小屋が立ち並ぶ。住民たちはみな、以前ゲリラ側の解放区で暮らしていた農民たちだ。農村地帯で政府軍や極右集団による虐殺が始まった1980年代以降、人々は難民となってバランカベルメッハに移り住み、次第に「コミュナス」は巨大化していった。

そして今年から始まった右派民兵組織の攻勢で、以前ゲリラ側の支配下に置かれていた”コミュナス”の約7割の地区が、現在右派民兵によって支配された。
「左翼ゲリラはハエ以下だ。我々の組織・コロンビア自警連合軍(AUC)は、誘拐や爆弾テロなどの卑劣な行為を続ける
ゲリラから国民を守る為に組織された。その為には、この町にいる左翼ゲリラを一人残らず殺さなければならない」
右派民兵組織のリーダーの一人、サルモン氏はインタビューにこう答えた。

「政府軍との密接な関係を否定しないか?」という質問に彼はこう答えた。
「政府軍と我々は、反左翼ゲリラという同じ名目で戦っている。政府軍が自分達を攻撃しない限り、こちらも戦うつもりはない」

バランカベルメッハ市にはコロンビア政府軍第45師団の兵士1000人以上の常時駐屯している。第45師団フアン・
バウチスタ軍曹は、右派民兵組織との関わりを否定しながら、こう語った。
「政府軍が右派民兵組織を支援しているという事実はない。しかし、もし政府軍関係者が右派民兵組織に協力している事実があれば、我々は彼らを逮捕する。すでに今年だけで民兵と繋がりがあった20人以上の政府軍関係者を拘束している」

人権擁護団体所長レグロ氏は今年4月、米国のワシントン大学に招かれ、講演で彼はこう語ったという。
「右派民兵が政府軍の協力を得ているのは確かだ。数十年来左翼ゲリラが住む郊外『コミュナス』を制圧できなかった政府軍は、現在右派民兵たちに武器を与えて、虐殺を黙認している。右派民兵達だけではこの様に早く支配地を広げることは
不可能だろう。アメリカの人々に伝えたい。米国から援助された13億ドルの軍事費は、虐殺の為に使われていると」

「毎日殺される恐怖に怯えている」

1998年5月、バランカベルメッハ市郊外ボストン地区で起きた右派民兵による誘拐事件は、市民を震え上がらせた。
左翼ゲリラシンパという容疑で右派民兵は一度に25人を誘拐し、その他に7人をその場で処刑した。右派民兵組織は
その後、「25人の左翼ゲリラは、我々独自の法律で裁き、すべて処刑した」と声明を発表した。

息子が誘拐された母親の一人、ルース・マリナさんをボストン地区で尋ねた。
誘拐された当時、息子のリッキーさんは23歳だった。左翼ゲリラのスパイ容疑で連れ去られたが、母親のルースさんにはまったく心あたりがないという。ただ彼女も、十数年前に左翼ゲリラの解放区から難民となってバランカベルメッハに
移り住んでおり、親類などは未だに左翼ゲリラが支配する解放区で暮らしているという。
「今でもなぜ、息子が誘拐されたのか分りません。ここ郊外の『コミュナス』に住む住民は、すべて左翼ゲリラだと
思われています。息子はゲリラと一度も接触した事がありません。民兵は処刑したと言っていますが、息子は今でも
生きていると信じています」

その後犠牲者の家族の証言で、犯人の中に政府軍兵士がいたことが判明する。

当時地元の人権擁護団体職員だったエリザベス・カナスは調査を始めた。しかし調査を続けていた翌年7月、
エリザベスは市内の路上で暗殺された。

「娘はとても正義感がある娘だった。苦しむ人々を助けたくて、人権擁護団体で働いていました」
エリザベスの母親は言った。娘が暗殺されて以来、彼女は毎日怯えて暮らしているという。

「憎しみが憎しみを生む」

「ゲリラ解放区内の農村で右派民兵による虐殺事件があった」と聞き、調査に行く人権擁護団体と共に、
バランカベルメッハから船でマグダレーナ川を渡った。そこから車で3時間山道を走ると、マグダレーナ・メディオ州
からアンティオキア州に変わる。更に険しい山道をロバに乗り進み、約1時間後、左翼ゲリラ・国民解放軍が支配する
サンフランシスコという名の村に着いた。

解放区内では女性の兵士も多い。三つ編みをした20歳前後の女性ゲリラ兵士が言う。
「ここで生まれたから自然とゲリラ兵士になった。これまでに右派民兵によって親類や仲間が多く殺されている。
私は彼らの為に、祖国を解放するまで戦いたい」

国民解放軍(ELN)の前線司令官パブロ氏は、長いインタビューの最後に、こう語った。
「右派民兵たちがバランカベルメッハ市を制圧しようとしているが、我々は断じてそれを許さない。やつらは政府軍の
後押しを受けている。我々国民解放軍は、近い内にバランカベルメッハを取り戻すだろう。アメリカやあなたの国など
からの援助によって、多くの人が死んでいる。それを全世界に伝えてほしい」

村で待っていた一人の農夫の案内で、数キロ先の虐殺現場に案内された。一件の農家があり、右派民兵によって家内は
すべて破壊されていた。牛の死骸が庭先に放置されており、聞くと、民兵達が殺していったという。
薄暗い家の中を覗くと、所々に民兵が残していった白いチョークで書かれたメッセージが残っていた。
「カルロス(民兵組織のリーダー)はまた戻ってくる」
「ゲリラに死を」
「仲間になるか、それとも死を選ぶか」

案内人の農夫に、夫を殺されたマリアという女性を紹介された。
「朝日が上る午前6時頃、突然頭上から大きな音が響き始めました。家の外へ出ると、付近の山あいの野原に、真っ黒な
ヘリコプターが着陸して、すぐに何人もの迷彩服を来た兵士がこちらに向かってきました。そして彼らは私と二人の子どもに銃口を向けている間に、夫を連れ去りました」
彼女は体を震わせながら語った。

マリアは夫ホルヘが連れ去られてから、付近に住む農民たちと共に数日間夫を探し続けた。昨日異臭がしている場所を
発見し、バランカベルメッハの人権擁護団体に連絡したという。ホルヘの遺体が埋まっていると思われる場所には、
遺体から出る湿気の為か白いカビが一面に生えていた。近くの大木には、処刑された時の弾丸の跡が残り、未だに枯れ葉に血痕がついている。

数人の農民たちが、スコップを使って少しずつ遺体を掘り起こしていく。
腐敗した遺体が掘り起こされ、遺体の確認の為に、遠くで見ていたマリアが呼ばれた。衣服や長靴などを見たマリアは、
遺体が夫だと確認したのだろう、彼女は涙を流しながら小さくうなずいた。腐敗した夫の遺体をビニールシートに包み、
マリアと二人の子どもたちは、安全のためにバランカベルメッハに向かった。

右派民兵組織・コロンビア自警連合軍の最高司令官カルロス・カスターニョ氏は、以前地元のテレビ局のインタビューで、右派民兵組織に入隊した理由を聞かれてこう語った。
「私が5歳の時、父が左翼ゲリラによって殺害された。そして、私は父を埋葬するとき、大声で泣叫びながら、
父を殺した左翼ゲリラに復讐する事を決意した」

人権擁護団体所長レグロ氏は最後にこう語った。
「軍事力で内戦を終結させようとしている政府は間違っている。この状態が続けば、政府は右派民兵組織と共に、
左翼ゲリラを消滅させるかもしれない。しかしその後、国内の特権富裕層は満足しても、底辺に暮らす人々の生活は
保証されていない。彼らはまた、銃を持って戦うだろう」

マリアと子どもたちは翌日、バランカベルメッハ市郊外の墓地で、静かに夫を葬儀をした。
彼女は夫の墓に一輪の花を添え、そしてつぶやいた。
「夫を殺した民兵が憎い」
マリアの横には、拳を握りしめながら大声で泣き叫ぶ二人の子どもたちの姿があった。

 

2001年 アエラ掲載 




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