児童売買の闇



カンボジア北部バンテイ・メンチェイ州。
タイとの国境の町ポイペトではカジノの建設が続き、
夜になると巨大なカジノのネオンが輝き、町は小さなラスベガスになる。

「観光バスに乗ってくるのはタイ人や中国人、それに日本人の団体もいる。
以前は寂れた国境の町だったが、今はカジノのおかげで賑わっているよ。
人が集まると、色々なビジネスが成り立つから面白い」

カジノの前にいたポン引きの男が言う。男は耳もとでささやいた。

「ドラッグは要らないか?女は一晩10ドルだ。少し値段は張るが、子どももいる。安心しろ。捕まる事はない」




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ナン

12歳の少年ナンは、ポイペト国境の橋の下で暮らしている。

朝日が昇る早朝5時、彼は国境の谷間を流れる汚物が浮いた川で顔を洗った。少しずつ辺りが明るくなって、橋の下には
大勢の人が寝ている事に気付いた。死んだように眠る少年、ノミの為に体中を掻きまわしている少女、重なり合って寝て
いる姉妹など、数十人の姿がオレンジ色の朝日に照らされて、うっすらと見えはじめた。ほとんどが子供達でナンと同世代が多い。グループがいくつもあり、ジーンズなどの衣料品が山積みにされた場所で、同じ仲間同士ひと固まりになって寝ている。

橋の下で暮らす子供達は通称”運び屋”と呼ばれ、違法でカンボジアからタイに品物を運んでいる。密輸組織に強制的に
働かされている子供も多く、彼らは児童売買組織によって売られてきたという。

「今日運ぶのはジーンズや布団など。軽いから楽だよ」
ナンはこう言い、一度に背負えるだけの衣料品数枚を、丁寧に紐で束ね始める。彼と仲間たちが国境を渡り始めたのは7時過ぎ。国境といっても谷間に小川が流れているだけで、それが国土を分ける一応の目安になっている。

荷物を運ぶ子どもたちの中には、まだ10歳にも満たない少女もいた。衣料品を背負った子どもたちが先頭を歩く。
厳重にテープが貼られた段ボールを抱えた子供が、一列になって続いた。体の倍もある新品の自転車を抱えた小さな男の子が、国境の急斜面を登る。斜面を登り終えるとすでにタイ側の領土で、荷物を担いだ子供たちは、そこから近くの市場まで約1キロ歩く。道から外れた草むらにある獣道が、子供たち専用のルートらしく、あまり目立たないように彼らは静かに
歩き続ける。

地元の英字新聞「カンボジア・デイリー」の記者スワン氏が言う。
「カンボジアからタイへ密輸される品物は、主にベトナムや中国からの衣料品や電気製品が多い。まともに国境を通過して関税を払うより、税関職員に賄賂を渡すほうが安上がりになる。カンボジアとタイ両国の警官は、金を渡せば見てみぬふりをする。それに密輸は、盗難品や国内で横流しされた品物のためで、たとえば外国が援助したコンピューターやオートバイなど、タイ側に持ち込まれて公然と売られている事もある」

彼は続けた。
「密売組織が子どもを使い始めたのは、ここ数年のことだ。その一番の理由は、以前に比べて児童売買組織から、
安く容易に子どもを買えるようになったからだ。たとえば10歳の子ども一人の値段は150ドル(約1万2千円)ほど。子どもの値段は中古のバイクや新品の自転車の値段より安い。異常な世界だ。そうは思わないか?」

すべて金で解決ができる

国連の推測では、アジアだけでも性的搾取を目的とした売買の被害にあっている女性と児童は、一年間に100万人以上にも及ぶ。そしてフィリピンやインドネシア、タイ、カンボジア、ビルマなどではここ10年の間に観光客が増加し、それに並行して児童売買も増加しているという。

日本や韓国、台湾における商業的性的搾取の場合、貧困よりも消費主義と関係がある。しかし東南アジアの場合、
貧困や教育の欠如が関係し、第三国と呼ばれる各国が深刻な問題を抱えている。そして昨年ユニセフが行った調査で、
「児童売買が最も蔓延しておりかつ搾取的に行われている国はカンボジアだろう」と報告された。

ポイペトにある保護施設「クロサー・トゥムアイ(新しい家族)」には、約40人の子供達が共同生活を送っている。
その8割の子供達が、児童売買組織に売り渡された経験を持つという。保護されている子供達の中には、生まれて
数カ月の赤ちゃんもいた。

「ポイペトは子供達にとって地獄のような場所だ。売買や虐待が、これほど公然に行われている場所は、他にないだろう。ここに法律はないも同然、すべてお金で解決できる。ひどい状態だ」
フランス人ボランティアのペロン氏は言う。

最近では、タイ国内で保護されるカンボジア人の子どもの数が、年々増加しているという。タイの売買組織に買われた
カンボジアの子供たちは、バンコックやタイの観光地で、物乞いや花売りをさせられることが多い。稼いだお金はすべて
奪われろくに食事も与えられずに仕事を強制させられる。そして子供たちの多くが、最終的に性産業で働かされる。

11歳の少女トイは、施設で暮らし始めて一年ほどになる。援助団体から寄付された勉強道具や衣服に交じって、
彼女のロッカーの中には、ピンク色をした縫いぐるみが大切にしまってあった。
「寂しい時に、この縫いぐるみと話をしています」 縫いぐるみを抱きしめた少女はこう言った。

「自分を売った親を、ほとんどの子供達は恨んでいる。だから保護された後に、故郷に戻る子どもは大変稀です」
ペロン氏が言った。


村を襲う水害

ポイペトで暮らすナンが生まれたのは、ベトナムに近いプレイ・ヴェング州。
家族は両親と3人の弟、それに妹が一人いた。兵士だった父親が”政府軍リストラ計画”のため突然解雇されたのは
98年、その後ナンの家族は、ベトナム国境付近の母親の実家で、細々と農業を営んでいた。

そして暮らし始めて2年後、ナンの村一帯が水害の被害を受けた。植えた稲が全滅した。生活費と次の田植え準備の為に、父は村の金貸し業者から500ドル(約4万円)を借りる。翌年には稲が育ち、借金を返す予定だった。しかし翌年も、
酷い水害が村を襲った。家族は持っていた中古のバイクを売り食べ物を買って喰い繋いだ。そしてナンの妹が病気になる。村の医師を呼ぶと、手遅れにならない前に、数十キロ離れた町の病院へ行くように指示された。しかし両親には、町まで
行く為の現金はなかった。

仕事の斡旋業者だという人物が家を訪ねてきたのは、ちょうどその頃だった。
「首都プノンペンのレストランで働く若い人物を探しています。仕事は皿洗いや掃除。住み込みで3度の食事付きです」

その中にベトナム人も一人いた。彼はナンを見て、「君なら一ヶ月100ドル稼ぐことが出来る」と言った。
みな身なりも綺麗で、田舎では珍しい高級車に乗っていた。男たちは言葉巧みに両親を説得した。

その時長男のナンはまだ9歳。「働くのはまだ若すぎる」という理由で、その日父は斡旋業者の話を断った。しかし翌日
また彼らは来た。その日は、手土産を持って来ていた。男が、お金の入った封筒を父に渡すのをナンは見ていた。
「明日また来る」という彼らに、父は黙ってうなずいた。

その日の夜、酒に酔った父は、ナンにこう言った。
「一年間だけの辛抱だ。我慢してくれないか」

うなりながら寝ている病気の妹を看病していた母は、何も言わずに目に涙を浮かべ、そしてすすり泣いた。
ナンはプノンペンで働く事を決めた。


一日に何度も国境を往復

翌日大きな貨物トラックが来て、ナンは荷台に乗せられた。9歳の彼を隠すように、運転手はビニールシートをすっぽりと荷台にかぶせた。酷い穴だらけの道を走り続けた。途中ナンに、硬いフランスパンが一個与えられた。

トラックが止まったのは二日後の真夜中。運転手に「降りろ」と言われ、近くの大きな橋の下に連れていかれた。近くに
お城のようなカジノがあり、周りはネオンの灯りで昼間のようだった。ナンはゴザの上で夜を明かし、早朝目が覚めた。
そこには、何十人もの子どもが雑魚寝をしていた。隣にいた少年と話をすると、「ここはタイ国境の町ポイペトだ」と
言われた。自分はプノンペンにいると思っていたナンは、耳を疑った。

ナンにはその日から仕事を与えられた。荷物を抱えて、違法で国境を越えるという通称”運び屋”で、一日に何回も国境を往復させられた。
ナンは言う。

「体中に入れ墨をした若いカンボジア人がいつもいて、怠けると彼に酷く殴られる。運ぶ荷物を指示するのは、いつも
タイ人だった。ベトナム人も時々来る。食事は昼と夜の二度ある。でも朝6時から夜11過ぎまで休む暇は無いよ」

国境に架かる橋の両端には、カンボジアとタイ両国の移民局がある。子供達が橋の下から違法で国境を越える時、
両国の移民局と警官は、彼らに賄賂を請求する。払わなければ通れないし、まして拒否すると、酷く殴られる時もある。
「昨日の朝タイの警官に棒で殴られ、ポイペトに戻ってきたらカンボジアの警官に蹴飛ばされた。
警官は跡が残らないように、必ず顔以外の場所を殴るんだ」

橋の下で暮らすナンは、ときどき真夜中、トラックから降ろされる子供達を見た。ナンと同じように連れてこられた
子供たちで、その場でタイ人に引き渡される子どももいた。

ナンは何度もここから逃げようと思った。
「でも捕まるのが恐い。以前捕まった仲間は、頭を剃られ、みんなの前で裸にされた。そして力一杯棒で殴られた。意識がなくなるまで、何度も殴られていた」


政府は努力を全くしていない

「70年代のポル・ポト政権時代、そしてそれ以降も、私たちクメール人は、長い間暴力に苦しんできました。
しかし現在も、女性や子供達に対して暴力的な行為が続いてるのです」

カンボジア女性省のソチュア女史は言う。

「政府は児童売買を無くすための努力を、全くしていません。私が政府の一員になった理由は、この国の女性と子どもの
権利を守りたかったからです。しかし政府の官僚の中に、私の意見に同意してくれる人物は、残念ながらひとりもいない
のです」

カンボジアでは90年代前半、一気に市場が解放された。その時汚職や賄賂が横行し、一部の特権裕福階級だけが富を掴むシステムが出来上がった。外国資本の企業も増えたが、開発されるのは都市部だけで、地方は農業の基盤が出来ないまま、ずっと取り残されていった。もともと現金収入の少ない農家は、自給自足の生活が基本だった。しかし干ばつや水害の被害が地方を襲い、物価の上昇と共に、農家は極度の貧困に喘いだ。子どもたちは教育が受けられず、農村地域の生活レベルは都市部とは比べられないほど貧しくなった。

ソチュア女史は言う。

「今のカンボジア国内は、以前に比べて安定しています。しかし都市部から離れた地方では、経済的に厳しい状況が続いています。信じられないでしょうが、絶望的な貧困に苦しむ両親は、大切な子どもを容易に売ってしまうのです。売買を目的として幼児を誘拐する組織や、仕事の斡旋業者と名乗って子どもを連れ去る詐欺組織も多く存在します。それらの組織を
取り締まらなければ、児童売買は無くなりません」



脅迫を受ける人権擁護団体

「カンボジアの児童売買組織を壊滅することは大変難しい」
カンボジア人ジャーナリスト協会の会長ニアン氏はこう語る。

「児童売買組織は、地元の警察、政治家、タイやベトナムのマフィアなどと繋がっている。買収された警官が組織を
保護しているから、実体を暴くことは危険すぎる。利益を懐にいれている政治家たちは、すべて見てみぬふりをしている」

カンボジアでは90年代、多くの人権擁護団体が児童売買組織の壊滅のために努力をした。
しかし汚職警官がそれを阻んだ。警官から暴力を受け、脅迫を受けた人権擁護団体はすべての活動を停止させられた。
児童を売買した罪で起訴された犯人も、裁判官が買収されて無罪となるケースが相次いだ。

「この国では上(トップ)から下(庶民)まで汚職と賄賂が浸透している。
この仕組みを変えなければ、何も変わることはないだろう」
ニアン氏は言う。

カンボジア北部バッタッンバン州のパイリン特別区。
タイ国境に面しているこの地区は、政府軍併合後も元ポル・ポト派幹部たちの拠点として知られている。パイリンには、
町のはずれに小さな歓楽街がある。カラオケバーと書かれた入り口をくぐると、薄暗い応接間があり、チットと仲間の少女たちは客を待っていた。カンボジア国内の売春宿には、15歳以下の児童が2万人働いているという。13歳のチットも、そのうちのひとりだった。

長家だった古い建物を改造したカラオケバーの奥には、6畳ほどの個室がいくつもあった。客は気に入った少女と個室に
入り、酒を飲みながらカラオケを歌う。少女たちは店の売り上げが上がるように、客のおごりでビールを飲む。少女たちに給料はない。客と寝ると、儲けになった。
ショートの値段は4000リエル(約120円)。その半分はバーのオーナーに渡る。チットは言う。
「朝から4、5人と寝て、一日の儲けは1万リエル(約300円)ほど。稼ぎのほとんどは自分の生活費に消えてしまう。来月から国境を越えてタイに出稼ぎに行く予定なんだ。タイには外国人が多くいると聞いているからここよりはマシだよ」


チット

13歳のチットの故郷はコンポン・チャム州。父は彼女が5歳の時、結核が原因で死亡した。
「それから母親は、私たち4人の娘を育てるために、毎日早朝魚を仕入れて市場で売り、夜は深夜まで売店で働き続けた」
しかしチットが9歳のとき、不幸が襲う。働き尽くめの母が過労で倒れ、数日間高熱を出し寝込んだ。
そしてあっけなく逝った。

母の葬儀の時、それまで会ったこともない身内が数人来た。母方の遠い親戚だと紹介された。みな都市部に住んでいるらしく、金の装飾品を飾って気取っていた。
葬儀が終わった翌日、チットは叔母の一人から、「あなたたちを引き取る事になった」と突然聞かされた。
長女のチットは9歳、下の妹メイはまだ6歳、それに3歳と4歳の幼い妹が二人いた。孤児となった4人の少女たちに、
他に選択は無かった。「すぐにプノンペンへ行く」と言われ、チットはうなずいた。
家族が大事に飼っていた3頭の牛と5匹の豚は、いつの間にか叔母が業者に売り捌いていた。

「荷物をまとめるのは、すぐに終わりました」 チットは言う。
「なぜなら私たち姉妹の財産は、数枚の服と、たった一枚のゴザだけだったから」

プノンペン郊外の叔母の家は、一階がレストラン、3階建ての豪華な家だった。4人の姉妹は、一階の台所横の小さな部屋をあてがわれた。4畳ほどの部屋には窓が無く、物置部屋同然だった。チットと6歳の妹メイは、レストランの手伝いを
するよう命じられた。朝5時に起きて店の掃除をし、夜の11時の閉店時間まで、コップ洗いや洗濯、ビ−ル運び、
なんでもした。仕事の合間を見て、チットは幼い妹二人の面倒を見た。
「毎日の仕事は辛かった。でも住む場所と食事があり、何よりも姉妹4人が共に暮らせたことが一番の幸せでした」

そして半年ほど経った頃、チットは叔母からこう言われた。
「タイ国境の町パイリンに新しいレストランを開店した。妹のメイと一緒にそこで働いてくれ」

チットは戸惑った。3歳と4歳の妹はまだ幼く、ここに残していくのは心配だった。断ると祖母はチットにこう約束した。
「新しいレストランで働けば、給料も出してあげる。学校にも行くことも出来る。あなたの妹たちも幸せになれる」

チットは学校に行った事がなく、字の読み書きが出来なかった。店の従業員から随分馬鹿にされることあった。
妹メイは、パイリンで働く事に反対した。チットは妹をこう説得した。
「給料が貰えるし、学校にも行ける。国境にはお金持ちが多くて、給料で好きな物を買う事もできる。二人で勇気を出して行ってみよう」

二人がタイ国境の町パイリンに着いたのは数日後。その日二人は、迎えに来た北部訛りの方言を話す男たちに、町外れに
ある奇妙な集落へ連れていかれた。どの家も同じような店構えで、「カラオケバー」と看板が出ていた。濃い化粧をした
女たちが沢山いて、昼間から退屈そうに庭先に座っていた。

チットとメイは、男たちから年増の女に手渡された。女はカラオケバーのオーナーらしく、
「私の言うことに逆らわないように!」と厳しく言われた。店先には、目つきの悪い男が数人、飲んだくれていた。
欧米女性のヌード写真が貼りめぐらされた酒場には、女が5人ほどいて、客に酒を注いでいる。タイ語や中国語など、
客の中には聞き慣れない言葉を話す者もいた。店には拳銃を持った警察官もいて、酔っぱらってオーナーの女に抱きついていた。ときどき店の女たちが、客と手をつないで奥の部屋へ消えていく。その姿を見て、二人は恐くなって震えていた。

新しい客が来て、その男たちは、チットとメイをなめるようにして見た。
店の一番上の棚に飾ってあったウイスキーを注文した男たちは、銀色のライターで外国産のタバコを吹かしている。
オーナーの女が、男たちに言った。
「あの娘は新入り。まだ9歳。処女だから高いわよ」

チットはプノンペンの叔母に騙されたと、そのとき初めて気付いた。


巨大化する児童売買組織

カンボジア女性省のソチュア女史は言う。

「カンボジアでは今でも、女性や子どもの地位が低く見られています。女性や子どもは働くだけで、教育は受けなくて
良いと考えている親も多い。特に地方では、子どもの事を家財道具や家畜同前とみなしているときがある。貧困に苦しみ、絶望的な状況に追い込まれている家族は、お金とひきかえに子どもを売ってしまいます。なぜなら、そのお金で、残された家族が食べていく事ができるからです。彼らにとって子どもを売ることは、生きていくための一つの手段なのです。貧富の差がある限り、児童売買はなくならない。そしてその悪循環が児童売買組織を巨大化しているのです」

パイリンで暮らすチットは、今年13歳になった。妹のメイは10歳。客に呼ばれたメイは、顔に白粉を塗りたくり、
コンドームを持って奥の部屋に消えていった。

バーの奥の部屋からは、大音量でカラオケを歌う男の声が聞こえてくる。

「あれは地元の有力者。昼間にこっそりやってくるの。時々テレビで見る政治家も来るわ」

チットはこう言って、タバコを吹かした。



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